排水管のチェックが来るということで、在宅の夫が朝から着々と脱衣所あたりの片付けをしたり掃除機をかけたり、働いていました。
私は昨夜、排水溝のところに髪の毛のネットをつけているのですが、それを取り替えて、モコモコ泡でなんか掃除してくれるというのを撒いて、少しお湯をかけて放置しておいただけ。
実際に来てみると、台所もやるということで焦りましたが、特に問題はなく終わりました。
9時から12時の間に来る予定で、10時から参加予定のセミナーがあるので重なったら嫌だなと思っていたのですが、無事、9時半ごろには来てもらえて助かりました。
13時までだったセミナーが終わる前にお昼用に夫がおうどん買ってきてくれました。
最近、はなまるうどんのテイクアウトが流行りです。
基本、ぶっかけに温泉卵、プラス天ぷらを一つ。
今日はイカ天でした。
幸せ。
その後は朝のセミナーで勉強したことを基に自分のセミナーを整えてみたり、すっかり忘れていたふるさと納税をしてみたり、気づいたらもう夕方に。
先日直しをお願いしていた結婚指輪が戻ってきたと昨日の夕方連絡をもらったので、今日夫の仕事が終わったら買い物がてらに一緒に取りに行くつもりでしたが、雨だったので出る気になれず、また明日。
夫が再び買い物に行くというので、いくつか私も買い物を頼みました。
よく動く夫です。
その前に先日お願いしたクレジットカード関係でトラブルがあり、営業さんを散々叱りつける展開に疲れ果てていたのもあります(汗
明日までにちゃんと解決してくれるといいんですが、さてどうなるやら。
夜になって娘が、自分がまとめたインタビューの文章が誉められた!と自慢げにスクショを送ってきました。
読んでみると、まあまあしっかり書かれている。
オランダの最後の2年間、転校して日本語が学べるインターナショナルスクールに通った娘。
母国語として日本語を取ったのですが、日本の普通の「国語」とは違って、2年間で14冊の本を読み、1冊ごとに最低でも3つ4つレポートを書くという、かなり過酷なプログラムでした。
評価基準もかなり厳しく、このプログラムに入った段階で、ひらがながやっと書けて、カタカナはなんとなくしか読めず、漢字もほとんど怪しい、そんな娘には入学前の夏休みに出た宿題の夏目漱石の「三四郎」のレポートはあまりにも荷が重過ぎて、書いたものを見て本気で血の気が引いたのを覚えています。
これは私も腹を括るしかない。
そう心を決めて最初の1年は、娘の宿題に徹底的に付き合い、1週間のうちに2度3度ある、しかも最低でも400字詰めの原稿用紙3枚4枚を書かなければいけないレポート締切のたびに一緒に徹夜するのも珍しくありませんでした。
最終的には2年が終わって、最後に試験を受けて、合否が決まります。
1年目が終わった時にはだいぶ自分で書けるようになっていたものの、最後の試験を考えると不安は拭えませんでしたが、2年目に入ると突然書けるようになり、私が手を出すことも減りました。
最後の試験は手書きなので、本当は最初から全て手書きにすべきでしたが、1年目はとても無理で、PCで打ったものを手で清書するやり方をしていたのですが、2年目になると直接自分で書けるようにもなってきました。
高校卒業のためには、もちろん日本語だけでなく、他にもかなり要求の多い科目が6科目。
加えて、卒論。
さらに、学校の行事やボランティアにも一定の時間を費やさないといけません。
よく乗り切ったものです。
それでも、あの時の経験があるから娘もなんとか日本語を読み書きできるようになったわけで、今、書いたものを褒められるようなことがあると、無理してでもあの時頑張ってよかったね、と思います。
あの時の経験がなければ、日本に来てから12年経っているけれど、ちゃんとした日本語を書くようにはとてもなれなかったでしょうから。
ニューヨークからスウェーデンに移り、4年生で日本人学校に初めて行って出された「料」という漢字を使って短文を作る宿題が出たことがあります。
娘の答えは
「料金は50円。」
でした。
何が50円なのか。
なぜ50円なのか。
50円で何が買えるのか。
うちではいまだに語り草になっているのですが、つまりそんな子だったので、今日褒めてもらったことがひとしお嬉しく感じたのでした。